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kanahara eiji
郷里、宮城の写真。
被災地での土石・瓦礫の掻き出し等のボラをしていた時、
その際、隙間隙間の時間に撮りためた写真。
福一から70数キロのポイントが実家。
母校の直ぐ傍まで津波被害がありました。
収束は、まだまだしておりません。
私たちは、津波・地震被害+原発被害を考えなくてはなりません。
福島以外にも、宮城南部、千葉県北西部・・・etc、、、多くの地域が汚れてしまいました。
これら、放射能とも戦って行かなければなりません。
多くのメディアが真実を語らない今、私は唯、黙っている訳にはいきません。
ずっと、ずっと、発信して行く義務があります。
未来の、そして今の子供達のために。
私は、決して忘れません。あの日々のことを
金原 英二
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